レオポルドは咆吼とともにおれたちに向かって突進してきた。
正に最悪のタイミングだった。
レオポルドはうなり声をあげて、おれの身体を二人から引きはがした。
おれはでくの坊のように床に転がったまま、しばらくの間、レオポルドが狂ったように拳を振り回すのを呆然と見ていた。
――奇妙だ。
「シニョーレ・レオーネ」
――なぜ、ウエリテス兵が来ない?
おれは、拳を振るうレオポルドの背中に再び呼びかけた。
「アンジェロ、ティ・ヴォッリオ・ベーネ!」
レオポルドが動きを止めて、おれの方を見た。
「もうよせ。殺す気か」
「ああ、そうしてやりたいよ。止めるな、イアン」
おれがレオポルドの攻撃を封じている間に、ハーレー卿とルビーは素早く部屋から抜け出した。
「あ、待て。ミンキア!くそ、逃げられた」
レオポルドが拳を床にたたきつけた。
二人の姿が消えるのと入れ違いに、おっとりとした声が聞こえてきた。
「あ!電子錠が壊れている」
ドアの外で、フミウスが悲しげに首を振るのが見えた。
「ここまで破壊されると、三回叩いても治らないだろうな。ただでさえ予算がないのに。按察官補佐になんて言われるか。――――バズーカでも使ったんですか」
恨めしそうな上目遣いでレオポルドをにらんできた。
「スパナで殴っただけだ!バズーカなんて、持ち込めるわけがないだろう――――おい、それより」
「はい、ご説明しますよ。控え室へいらしてください」
「行け、レオポルド」
「イアン、おまえを連れていく」
「もう何も起こらないさ。おまえが来てくれたからな」
「はい。シニョーレ・レオーネの登場ですべておしまいです」
「おれもすぐ後から行く。先におれの部屋に行って、コーヒーを淹れていてくれ」
おれはシャワーで身体の汚れをきれいさっぱり洗い流した。
部屋の外に出ると、新しいシャツと下着類が用意されていた。制服はきちんとプレスされている。フミウスの手配だろう。
おれは、もう着ることはないだろうと思っていた制服に再び袖を通した。
家令控え室に行くと、フミウスが数時間前と寸分違わぬ姿で、優雅に足を組んで紅茶を飲んでいた。
「お帰りなさいませ、イアン!」
まるで何事もなかったかのように陽気に語りかけてくる。おれは、単刀直入に切り出した。
「パテルの館で飼われる犬に指名された、と言われた」
「嘘です」
「――あれは何だったんだ」
「うーん、実益を兼ねた講習会といいますか」
「かんべんしてくれ。さっさと本当のことを話せ」
「あー、パトリキの方々が連れだっていらして、アクトーレスの調教ショーを見たいとおっしゃったのですよ。
過分な報酬を提示されたもので、ひとまず按察官補佐に相談したんです。すぐにOKがでました。
予算が逼迫してるんですよ」
フミウスは肩をすくめてみせた。
「どうして、おれが選ばれたんだ」
「パトリキの中には、特にあなたを気に入っている方がいらっしゃるんですよ。イアン、あなたは人気が高いです」
おれはため息をついた。その結果がこの仕打ちというなら、とても喜べるものではない。
「ヴィラは知っているのか」
「もちろんですよ。これは、あなたがお客様に調教するための講習も兼ねていたんです。
最近、Cナンバーを経験してドムス・ロセにいらっしゃるパトリキが増えているんですよ。あなたにも1年振りに手伝ってほしいんです。そのためには、まず客の調教の仕方に慣れてもらった方がいいでしょう?
折よく、ブリタニアからシナジー・エンライトメント担当のハーレー卿とルビーが戻ってきていました。ヴィラのアクトーレスと違って、あなたとはあまり馴染みがない。あなたの講習にはうってつけでした。」
「冗談だろ。あれが客にする調教だというのか」
「そうですとも。それだから講習が必要だったんですよ。
イアン、あなたはやさしすぎるんですよ。激しい調教を好むお客様にはものたらないんです。
ルビーもよくそう言われています。
それに引き替え、ハーレー卿は厳しさの限界を心得ている。ハーレー卿の調教をルビーに見てもらう良い機会でした。
それに、ルビーがいてくれれば、あなたの身体にも負担がかからないだろうと思ったんですよ」
フミウスの言う通り、ルビーはやさしかった。激しい調教のあいだ、彼の細やかな気配りには随分助けられていた。
「パトリキの方々のご要望はできる限り、叶えて差し上げたいんです。
運動会の資金調達になるだろうと言われたら、外科部長が有頂天になってしまって、断り切れなくなったんですよ」
頭が痛くなってきた。
こいつにバケツで水をぶっかけたらすっきりするだろうか。そうしたら、こいつはどんな顔をするだろう。
「それもこれも、アンジェロ・レオーネ氏の登場ですべて台無しという訳か」
「そんなことはありません。ほぼ大成功と言っていいでしょう」
「でも、ショーは――」
「パトリキの皆さま、大喜びでしたよ」
馬鹿な。あの部屋には、ハーレー卿とルビーしかいなかった。
おれは、はっとした。
「まさか、あの鏡――」
「マジックミラーです」
おれはこめかみを指で押さえた。めまいがする。
あの鏡の向こうからいったい何人に見られていたのだろう。顔から火が出そうだ。
「――レオーネ氏には何と言って説明した?」
「なんにも。部外者に内部事情は話せないと言ったら、ひどく怒っていました。
でも、あなたを必ず返すと誓ったら、諦めて帰っていきましたよ」
今頃は、やかん同様に沸騰していることだろう。
「何に薬を盛った?ケーキか?それとも紅茶か」
「せっかく買ってきてもらった貴重な品にそんなことしません。もったいない」
フミウスは手に持ったティーカップをおれの方に傾けて見せた。空色の磁器に琥珀色の紅茶が揺らめいていた。
おれはようやく悟った。
「ミルクですよ。イギリス人のあなたなら、きっとアッサムティーにはミルクを入れると思いました。J・A・ギルバートもそうだった」
フミウスは屈託なく笑った。
「そんなに落ち込まないでください。今回の仕事の報酬は破格ですよ。特別休暇も手配するそうです、それに――」
「わかった。もういい」
済んだことだ。今は早く家に帰りたい。
「1つ頼みがある」
「わたしにできることでしたら、何でもしますよ」
部屋のドアを開けた途端、レオポルドが飛びかかってきた。不意打ちを食らってバランスを崩したおれは、レオポルドとともに床に転がった。
「くっ」
床で鞭の傷がこすれて、おれはうめいた。
レオポルドはネクタイを掴んで、乱暴におれの身体を引き寄せた。舌がおれの歯列をこじあけて、口の中に押し入ってくる。おれが夢中で舌をからめてむしゃぶりつくと、軽く舌先を噛まれた。痛みよりも快感が身体を突き抜ける。
レオポルドは陶然としているおれの頬をひたひたと平手で叩いた。
「ばかやろう。今度はどんな罠に嵌められたんだ」
おれは手短に事情を説明した。可能な限り細かい内容は省略した。今のおれに、ヴェスヴィオ火山の如く噴火したレオポルドを抑えられる自信がない。
「それで、全部か」
「ああ、そうだ」
レオポルドはじっとおれを見つめた。おれは彼の気遣わしげなまなざしを受け止めて、安心させるように頷いてみせた。
「服を脱げ」
「レオ!」
「それ以上話す気がないなら、いいさ。でも、裸になっておまえの身体を見せろ。制服をナイフで切り裂かれたくないなら、早く脱ぐんだな」
「わかった」
観念して素早く服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿をさらした。
「脱いだぞ。満足したか」
「おお、イアン」
レオポルドは黒い瞳を大きく瞠った。
「どうした、鞭の傷が珍しいか。おれのだって見慣れているはずだろう?」
レオポルドは、何も言わず口をきゅっと引き結んで、そっとおれの身体を撫でていった。
決して傷には触れず、周囲の肌を指で撫でていく。傷口にほのかにレオポルドの温かい体温が伝わってきた。痛みが和らいでいくような不思議な感覚に包まれた。
最後にレオポルドは両手でおれのペニスをすくい上げた。
赤い鞭の跡が一閃していた。しかしほんのかすり傷だ。打たれた瞬間に感じた気を失うほどの痛みに反して、傷そのものはたいしたことはなかった。
ハーレー卿の腕は確かなようだ。
いつまでも注がれているレオポルドの視線に、さすがのおれも顔が赤くなってきた。
「気が済んだだろ。もう放してくれ――おい、レオ」
ペニスに温かい水滴が降り注いできた。レオポルドの涙だった。
レオポルドは泣きじゃくりながら、亀頭を口に含み、舌先で尿道口をつつきながら、音を立てて啜った。
舌で裏筋を丹念になぞられると、快楽の波が湧き起こってきた。
おれはダークブラウンの頭にしがみつきながら、背を弓なりに反らして、彼の愛撫に身を任せた。触れられただけで、身体の奥から傷口が癒されていった。
レオポルドはおれの身体をひっくり返し、うつぶせにすると尻たぶを掴んで押し開いてきた。
指の腹でアヌスを押し広げて、襞を伸ばすように舐めあげていく。
「お、おい、やめろ、やめてくれ」
「きれいだ。アーモンドの花みたいだ」
「わ、わかった。わかったから、放せ」
逃げようともがいたが、長い間吊られていたせいか、身体に力が入らなかった。あっさり両手首を封じられ、キスを浴びせられた。
「おれのものだ。誰に奪われようと、地球の反対側からだって取り返しに行く。おまえはおれのものだ」
「ちがうな。おまえがおれのなんだ」
おまえのためなら、もう一度犬になろうとまで思ったんだ。
「おまえ、平気なのか?なぜ、ここまでされて、まだヴィラに留まっているんだ。いっそ――」
「おれは、ここにいる」
「イアン」
「なぜだろうな。ここにいると、落ち着くんだ。おれにとって家のようなものなのかもしれない」
恋人を二人も殺された後ですら、出ていく気になれなかった。
「じゃあ、おれは?おれは、おまえの家にはなれないか?」
「だめだな」
黒い瞳が悲しそうにまたたいた。
「おまえは、家じゃない。――おれの守護天使だ。おれのアンジェロ」
それから、おれたちは2匹の仔犬のように転げ回って、愛を交わした。
かぐわしいコーヒーの香りで目が覚めた。
ベッドを抜け出てキッチンに向かうと、レオポルドが淹れたてのコーヒーの入ったマグカップを差し出してきた。
レオポルドのコロンビア土産に違いない。
「ありがとう。とても旨い。どうやって作ったんだ」
「ああ。機械に頼らず、全部手でやったよ」
「大変そうだな。時間がかかったろう」
「それほどでもないさ。でも、おまえの所にもいい機械が必要だな」
「いらないよ。木を栽培するほどスペースがない」
「何で木を栽培するんだ?――!」
突然、レオポルドが笑い出した。
「何だよ。何がそんなにおかしいんだ」
「おまえ、このコーヒー、おれが豆を摘んできたと思っているだろう」
「違うのか。友達のコーヒー農園で穫ってきてくれたんだろう?」
「イアン、おれはニューヨークに行ってきたんだ」
「友達はコロンビアにいるっていったじゃないか」
「そうさ。ニューヨークのコロンビア大学だ。」
「――シカゴのマフィアが、農場で働いて、靴下も履けなくなるほど貧乏したあと、コロンビアのコーヒー農園で成功を収めた、という話じゃなかったのか?」
「シカゴのホワイトソックスのファームにいたけれど、球団をやめて、猛勉強してコロンビア大学に入学した、と言ったんだ」
今やレオポルドは腹を抱えて笑い転げていた。
「イアン、おまえ、昨日の朝、おれの話をまるで聞いていなかっただろう。
様子が変だったのが気になったけれど、どうせ仕事の話は聞いても教えてくれないからな。
だから、急いで帰ってきたんだ」
「友達には会えたのか」
「ああ、空港でな。コロンビア大学のカフェテリアで一番のコーヒーを持ってきてもらった」
「コロンビアからずいぶん早く戻れたものだと不思議に思っていたよ」
「ニューヨークならA国の空港から頻繁に直行便が飛んでいるからな。
――しかし、おまえは危なっかしくて目が離せないよ。何だって、こんなトラブルに巻き込まれてばかりいるんだ。
そのたびにいつもすぐさま飛んでこられるとは限らないんだぞ」
「地球の裏側からだって来てくれるんだろう?たとえ1年かかろうと、おれは待っているよ。
――ほら、これで機嫌なおしてくれよ」
「ん?なんだそれ」
「モカマロンケーキ。おまえに食わせたくてフミウスからもらってきた。きっとコーヒーに合うよ」
―――――― 了 ――――――――
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